子どもたちの読書の時間: 9 分
昔、かわいそうな羊飼いの男の子がいました。父親も母親も亡くなってしまったので、お役所が、食べ物を与え育てるようにとこの子を金持ちの家に預けました。ところが、この男もおかみさんも心の悪い人で、欲が深く自分たちの金を守るのにきゅうきゅうとして、ひとが自分たちのパンを一口でも食べることを嫌がりました。可哀そうなこの子は男の気に入ることは何でもやりましたが、食べ物はほとんどもらえず、ただうんとなぐられるだけでした。
ある日、男の子はめんどりとひよこの番をさせられました。しかし、めんどりがひよこたちと一緒に生け垣の間から外へ出てしまい、タカがすぐに舞い降りてめんどりを空にさらってしまいました。男の子は「泥棒、泥棒、悪党」とありったけの声を出して叫びましたが、何の役にも立ちませんでした。タカは獲物を戻したりしませんでした。男が物音を聞きつけ、その場へ走ってきました。めんどりがいなくなったとわかるとすぐに、かんかんに怒って男の子をこっぴどくなぐり、男の子は二日間動けませんでした。それからはめんどりのいないひよこたちの面倒をみなければなりませんでした。しかし、今度はよけい難しくなりました。というのはひよこたちは一羽がこっち、もう一羽はあっちと勝手に行くようになったからです。それで名案だと思って、ひよこたちを一本の紐でつなぎました。これならタカはひよこを一羽も盗めないだろうと思ったのです。ところがそれはまったく間違っていました。二日後、男の子は走り回ったのとお腹がすいたことで疲れ果て、眠ってしまいました。獲物を狙う鳥がやってきて一羽のひよこをつかまえました。それで他のひよこたちもしっかりつながっていたのでみんな一緒にさらわれて、タカは木の上にとまって食べてしまいました。主人の百姓がちょうど帰ってきて、この災難を見ると怒って男の子を情け容赦なくなぐったので、男の子は数日ベッドに臥せっているしかありませんでした。
男の子がまた歩けるようになると、お百姓は「お前は大馬鹿だ。お前に家畜の番はさせられないな。使い走りの仕事をしろ。」と言いました。それで男の子を裁判官のところへ使いにやり、ひとかごのブドウを持たせ、手紙も渡しました。途中であまりにおなかがすいて喉も渇いたので、男の子はぶどうを二房食べてしまいました。裁判官にかごを持って行きましたが、裁判官は手紙を読んでブドウを数え、「二房足りないな。」と言いました。男の子は、足りない二房はお腹がすいて喉が渇いたので私が食べてしまいました、とすっかり正直に白状しました。裁判官はお百姓に手紙を書き、また同じ数だけブドウを頼みました。これもまた男の子は手紙と一緒に持って行かされました。それで、とてもお腹がすいて喉が渇いたので、仕方なくまた二房ブドウを食べました。しかし、食べる前に手紙にばれないように自分が見えなくするため、かごから手紙をとって石の下に置き、その上に座りました。ところが、裁判官はまた足りないブドウについて男の子に尋ねました。「あれ?」と男の子は言いました。「どうしてわかったんですか?手紙は分からなかった筈なんです。だって食べる前に石の下に置いたんだもの。」裁判官はこの子の無知を笑わざるをえませんでした。裁判官は男に手紙を送り、可哀そうな男の子の面倒をもっとよく見て、食べ物や飲み物を十分与え、良いことと悪いことをきちんと教えなければいけない、と注意しました。「お前に違いを教えてやる。」と心の冷たい男は言いました。「食べたいなら働くことだ。悪いことをすれば、たっぷり殴って教えてやるよ。」
次の日、男は子供に厳しい仕事をさせました。男は、二束の干し草を切って馬の飼葉にするようにと言いつけ、そのときに脅して、「五時間でおれは戻るからな。その時までに、干し草を切っていなかったら足腰が立たなくなるまで殴るぞ。」と言いました。百姓はおかみさんと下男と女中と一緒に年の市にでかけ、男の子には小さなパンを一切れしか残していきませんでした。
男の子はベンチに座り必死に働き始めました。働いて熱くなったので、小さな上着を脱ぎ干し草の上に放り投げました。時間内に終わらないのではないかとびくびくしていたので、休みなくずっと切り続け、急いでいたので気づかずに干し草と一緒に自分の上着も切ってしまいました。気がついたときはもう遅過ぎて、この災難は取り返しがつきませんでした。「わあ」と男の子は叫びました。「これでもう僕はお終いだ。意地悪なだんなはただ脅したんじゃないんだ。戻ってきて僕がやったことを知ったら、僕を殺すよ。それならいっそ自分で死んだ方がいい。」男の子は前におかみさんが、ベッドの下に毒入りのつぼを置いてある、と言うのを聞いたことがありました。ところが、本当はおかみさんは食いしん坊を遠ざけるために言っただけで、つぼの中には蜂蜜が入っていたのです。男の子はベッドの下に這っていき、つぼをとりだして、中に入っていたのを全部食べてしまいました。「わからないな」と男の子は言いました。「死ぬのは苦いと人は言ってるけれど、僕にはとても甘い味がする。おかみさんがよく死にたがるのも不思議じゃないよ。」
男の子は小さな椅子に座り、死ぬ覚悟をしました。しかし、体が弱まっていくのではなく、栄養のある食べ物で強くなっていくように感じました。「きっとあれは毒ではなかったんだ。」と男の子は思いましたが、前に百姓が服を入れておくタンスにハエを殺す毒の小ビンがあると言っていたのを思い出しました。「あれは、きっと本当の毒で、飲んだら死ぬだろう。」ところがそれはハエ用の毒なんかではなく、ハンガリーワインでした。男の子はビンをとり出し、飲み干しました。「この死も甘い味がする。」と男の子は言いました。しかし、まもなくワインがまわってきて、頭がぼうっとしてくると、もう終わりが近づいていると思いました。「もう死ぬにちがいない」と男の子は言いました。「墓地へ行って墓をさがそう。」ふらふら歩いていき、墓地に着くと新しく掘った墓に体を横たえました。そしてだんだん気が遠くなっていきました。近くに結婚式が行われている宿屋がありました。男の子はその音楽を聞いて、もう天国にいるんだなと思い、そのうちとうとう気を失ってしまいました。可哀そうな男の子は二度と目を覚ましませんでした。強いワインの熱と冷たい夜露のために死んでしまったのです。男の子は身を横たえた墓にそのままずっといました。
百姓は男の子が死んだ知らせを聞くと驚き、裁判にかけられるのではないかと恐れました。実際それが心配で心配のあまり気絶して地面に倒れました。おかみさんは、熱い油の入った鍋をかけてかまどの近くに立っていましたが、亭主を助け起こそうと走っていきました。しかし、鍋に火が燃え移って家じゅうが火の海になり、2,3時間もすると灰になってしまいました。二人は死ぬまで良心の呵責に苦しみながら、貧しく惨めに暮らさなければなりませんでした。

背景情報
解釈
言語
このお話は、グリム兄弟による「墓へはいった哀れな小僧」というメルヘンです。この物語は、貧しい羊飼いの男の子の悲しい物語で、心の冷たい大人たちによって虐げられる彼の運命を描いています。
物語の中心には、親を失った孤独な男の子がいます。彼は金持ちの家に預けられるものの、その家の主人もおかみさんも欲深く、何一つかけ与えられません。男の子は少しでも役に立とうとしますが、食べ物も与えられず、代わりに厳しい罰を受け続けます。
物語の終盤では、彼の誤解からくる悲劇的な結末が待っています。「蜂蜜を毒だと思い込んで食べる」場面や「ワインを誤って飲む」場面によって、男の子は最終的に命を落としてしまいます。この話は、彼を不当に扱った大人たちが最終的にその行いの報いを受けることで締めくくられています。
この物語は、弱者への思いやりや、他人に対する態度や行動の重要性を考えさせる教訓的な内容を含んでおり、物語全体を通じて人間の無知や愚かさが悲劇を招く様子を描いています。グリム兄弟の作品らしい、厳しい現実を見据えたメッセージが込められています。
このグリム兄弟の物語「墓へはいった哀れな小僧」は、他の多くのメルヘンと同様に、いくつかの解釈が可能です。以下にいくつかの解釈を考えてみます。
社会的批判の物語: この話では、貧しい子供が不当な扱いを受け、最終的に命を落とすという悲劇が描かれています。19世紀のヨーロッパでの貧困や社会的な不平等、そして子供に対する虐待についての批判として読むことができるかもしれません。
道徳的教訓: 物語の中で、子供は何度も正直に自分の行いを告白していますが、結果として状況が良くならないまま終わってしまいます。時には正直さが報われないこともあるという、人生の不条理を反映しているとも捉えられます。
因果応報: 最後に、子供に対して酷い扱いをした大人たちは、火事で家を失い、良心の呵責に苦しむことになります。これは、悪行には必ず報いがあるという因果応報のテーマを示していると解釈することができます。
この物語は、他のグリム童話と同様に、読む人によってさまざまな意味を見出すことができ、歴史的背景や文化的文脈によっても異なる解釈がされる可能性があります。また、物語自体が持つ暗いテーマは、子供たちに対する教育的な意味合いと同時に、大人に対する反省や批判を促す要素も兼ね備えています。
この物語「墓へはいった哀れな小僧」は、グリム兄弟による童話の一つで、貧しい羊飼いの少年の悲しげな運命を描いています。この物語の言語学的分析を行うと、いくつかの特徴が浮かび上がります。
まず、語り口調が非常に昔話的であることが特徴です。文の構造は素朴で、物語の進み方は直線的です。「ある日」「ところが」「それで」「しかし」などの接続詞が多用され、ストーリーの展開を分かりやすくしています。これは、主に口承で語られていた時代の名残と考えられます。
次に、キャラクターの描写が善悪の二極に分けられ、モラルメッセージが強調されている点です。善良な主人公である男の子に対して、冷酷な富裕層の家族が対照的に描かれています。これにより、当時の社会的階級差や不平等への批判を込めたメッセージを伝えています。
さらに、比喩や象徴が物語のテーマを深化させています。例えば、タカにひよこがさらわれるシーンは、弱者である男の子が社会の無情にさらされる様子を象徴しています。また、蜂蜜とワインは「毒」として登場し、それぞれの甘さが「死」の概念と対比的に用いられていることで、無知からくる悲劇性を強調しています。
最後に、この物語には誇張された要素と悲劇的な結末があり、読者に感情的なインパクトを与えます。誇張された苦境とその結果としての悲劇は、読者に物語の教訓を強く印象付ける役割を果たしています。
このように、「墓へはいった哀れな小僧」の物語は、グリム兄弟が得意とする語り口調や社会的メッセージを含んでおり、言語学的にも興味深い分析が可能です。