子どもたちの読書の時間: 4 分
古代に、ある時巨人が広い大通りを旅をして歩いていました。すると突然見知らぬ男が前に飛び出して、「止まれ。あと一歩も歩くな。」と言いました。「何だと?おれが指の間でつぶせるやつが道をふさぎたがってるわい。」と巨人は叫びました。「ずいぶん思い切った真似をするじゃないか、お前は誰だ?」「わしは死神じゃ。」とその男は答えました。「誰もわしにははむかえない。そしてお前もわしの命令に従わねばならぬ。」しかし巨人は断って死神と戦い始めました。それは長く激しい戦いでしたが、とうとう巨人が優勢になりこぶしで死神を打った結果、死神は石のそばに倒れました。巨人は道を進み、死神は負けてそこに倒れたまま、とても弱ってもう起きあがれませんでした。「わしがここの隅に倒れていれば、どうなるかのう。世界の誰も死なないで、人間があふれかえり、お互いに立ってる隙間もなくなるぞ。」と死神は言いました。
そのうちに若い男が道をやってきて、丈夫で健康な男で、歌を歌いながら、あちこち見まわしていました。男は半分気を失っている男を見ると、同情してその男のところへ行き、起きあがらせ、自分のびんから気つけの飲み物を口に注ぎ入れ、その男が力を取り戻すまで待っていました。見知らぬ男は起きあがりながら、「わしが誰か、お前がまた足でたてるように助けたのは誰か、知ってるかね?」と言いました。「いいえ、私はあなたを知りませんよ。」と若者は答えました。「わしは死神だよ。わしは誰も容赦せんし、お前にも例外を作れん。だが、わしが感謝しているのがわかるように、わしがふいにお前を訪ねるのではなく、わしが来てお前を連れて行く前に使いを送ると約束しよう。」と死神は言いました。「え~と、いつあなたが来るか僕に知らせてくれるというのは得だね。とにかくその間はあなたから無事というわけだ。」と若者は言いました。それから若者は道を進んで行き、心が軽く、考えなしに暮らしました。
しかし、若さと健康は長く続きませんでした。まもなくたくさんの病気や悲しみがやってきて、昼は男を苦しめ、夜は休息を取り去りました。「私は死なないのだ。死神がその前に使いをよこすんだからな。だが、この病気のひどい毎日が終わって欲しいものだなあ。」と男は独り言を言いました。具合がよくなるとすぐに、男はもう一度楽しく暮らし始めました。するとある日、誰かが男の肩をたたきました。男が見回すと、死神が後ろに立っていて、「わしについて来い。この世に別れるときが来た。」と言いました。「何だって?」と男は答えました。「約束を破るのか?あなたは自分で来る前に使いを送ると約束しなかったか?私は誰にも会っていないよ。」「だまれ。」と死神は答えました。「わしは次から次へと使いを送らなかったか?熱が来てお前を打ちのめし、震えさせ、倒さなかったか?めまいがお前の頭をまごつかせなかったか?通風がお前の足を曲がらせなかったか?耳鳴りがしなかったか?歯痛がおまえの頬にかみつかなかったかね?目の前が暗くならなかったかね?そのほかにわしの弟が毎晩わしのことを思い出させなかったかね?もう死んだみたいに夜横になっていなかったかね?」男は答えることができず、運命に従い、死神と一緒に去って行きました。

背景情報
解釈
言語
この物語は、グリム兄弟による「死神の使いたち」というお話です。物語は、巨人との戦いから始まりますが、主なテーマは死神と若い男性のやり取りです。この話は、死の不可避性や、人間の最期の時期にどう向き合うかを考えさせられる内容になっています。
物語ではまず、死神が巨人と対峙し、巨人に打ち負かされてしまいます。力を失った死神を助けた若い男は、死神から訪れの予告を受ける約束を取り付けます。しかし、若者は日々の病気や苦しみを、死神の使いとは認識しておらず、その結果、最終的に死神は直接彼の元に訪れることになります。
この物語は、死神が送った使いを見逃すことで、生きる上での警告やサインを見落としていることを象徴しています。人は健康や若さを当たり前と思うことが多く、老いや病気を軽視しがちです。しかし、死神が登場することで、誰にでも訪れる終わりの瞬間についての警告を提示しています。
物語は、常に健康を過信せず、与えられた時間を大切にすることの重要性を教えてくれるものです。また、死に対する恐れやそれをどう受け入れるべきかについても問いかけています。
この物語は、グリム兄弟による『死神の使いたち』という作品で、死に対する様々な解釈を描いたものです。物語の主なテーマは死の不可避性と、その前触れとしての病や老化の過程です。
冒頭では、死神が巨人に挑むシーンが描かれます。巨人は最初、死神に打ち勝ったかに見えますが、その隙に世界は混沌に陥る危険性が示唆されます。この部分では、死の存在がいかに世界のバランスを保つために必要であるかが暗示されています。
続いて登場する若者は、死神を助けたことで、死神から「訪れる前に必ず使いを送る」と言われ、自分が無事であると安心します。しかし、彼は次々と訪れる病や不調を「使い」として理解せず、最終的に死神に連れて行かれることになります。ここでは、人間がしばしば死の予兆を見過ごし、準備を怠ることへの警告が含まれています。
物語は、死がいかに避けられないものであり、それを受け入れる必要があるという教訓を伝えています。また、死に至るまでの過程を「使い」として理解することの重要性を説いています。若者の運命は、死を避けようとするのではなく、むしろその準備をすることの意味を象徴的に示しています。
このグリム兄弟の物語「死神の使いたち」は、人生と死の不可避性について語る教訓的な寓話です。この物語を分析する際には、以下の点に注目することができます。
登場人物とプロットの簡潔さ: 巨人と死神、若者と死神の二つのエピソードを通じて物語が進行します。それぞれのエピソードは、死神との出会いと対話を通じて、死というテーマを巡る異なる視点を提供します。
死神の象徴性: 死神は避けられない運命として描かれ、誰もが例外なく迎えるものです。巨人との戦いや若者に対する約束を通じて、死神の役割と権威が際立ちます。
道徳的教訓: 若者は死神の訪問が前もって通知されるという約束を甘受しますが、実際には死への準備を怠り続けます。このことは、「死への準備を怠らないこと」や「時の移ろいを過小評価しないこと」の重要性を示します。
言語の使い方: グリム兄弟の物語らしく、簡潔で直接的な言い回しが特徴です。また、死神が使者を送るというメタファーが、各種の病気や老いの訪れとして具現化され、死へのプロセスが物語的に表現されています。
結末の余韻: 死神が若者に約束を守ったと主張するシーンで、若者がその事実に気付かされるという結末は、読者に対しても同様の警鐘を鳴らします。これにより、物語は単なるフィクションではなく、哲学的な問いかけとして機能します。
このようにして「死神の使いたち」は、単なる昔話として以上に、深い人生の真理を考察する素材を提供しています。読者はこれを通じて、人生の有限性や死に対する考え方を再評価する契機を得ることができます。