子どもたちの読書の時間: 4 分
貧しい男はとてもたくさん子供がいたのですでに世界のみんなに名付け親になってくれるよう頼んでいました。それでまた別の子供が生まれたとき、招待できるだれも他に残っていませんでした。どうしたらよいかわからず途方にくれて、横になると眠りました。すると、門の外に出て、出会った最初の人に名付け親になってもらえばよい、という夢をみました。目が覚めると、夢の通りにやるぞと心に決め、門の外に出、近づいてきた最初の人に名付け親になってくれるよう頼みました。その見知らぬ人は男に小さいコップの水をさし出し、「これは素晴らしい水だよ。この水で、病気の人を治せるんだ。ただ、死神がどこに立っているか気をつけないといけない。死神が病気の人の頭のそばに立っていれば、病気の人に水をあげれば治る。だが、死神が足のそばに立っていれば、どんな苦労も水の泡だ。というのは病気の人は死ななければいけないのだから。」と言いました。この時から、男はいつも病気の人が救われるかどうかあてることができ、その技で有名になり、たくさんのお金を稼ぎました。あるとき、王様の子供のところに呼びいれられ、入っていくと、死神が子供の頭のそばに立っているのを見て、水で治しました。そして2回目も同じことをしました。しかし3回目は死神が足のそばにたっていて、子供が死ななければならないと知りました。
あるとき、男は名付け親を訪ね、水で成功したことを話そうと思いました。しかし、家に入ると、中で変なことが起こっていました。階段の1段目でほうきとちりとりがけんかしていて、お互いを激しく殴っていました。男は「名付け親はどこにいるかね?」と二人に尋ねると、ほうきが「階段の1段上」と答えました。男が2段目にくると、死んだ指が山盛りになってありました。3段目には、死んだ頭が山となっていて、男にもっと上の段だと教えました。4段目には、火にかかっている魚たちがいて鍋の中でジュージューと自分を焼いていました。魚たちももう1段上だと言いました。5段目を上った時、部屋の入口に着き、鍵穴から覗くと一対の長い角を持っている名付け親が見えました。
ドアを開け、入っていくと、名付け親は大急ぎで、ベッドに入り、布団をかぶってしまいました。それから男は「名付け親のだんな、なんとも変な家にお住まいですね。階段の1段目にくるとちりとりとほうきが喧嘩してひどくお互いをぶっていましたよ。」と言いました。「おまえはなんという間抜けだ。それは男の子と女中がお互いに話していたんだ。」「だけど、2段目では死んだ指が落ちていましたよ。」「なんて馬鹿だ、そりゃ、フタナミソウの根だよ。」「3段目には死んだ人の頭が山になっていましたよ。」「愚か者め、それはキャベツだよ。」「4段目には、鍋に入った魚を見ましたが、シューシュー言って自分を焼いていました。」男がそう言ったとき魚たちがやってきて、自分を皿に載せました。「それで5段目に来て、ドアの鍵穴から覗いたら、そこに、旦那、あなたがいたんですよ。長い長い角が生えていました。」「いやあ、それは本当じゃないよ。」男はびっくりして、跳び出しました。もしそうしなかったら、名付け親が何をしたかわかりません。

背景情報
解釈
言語
この物語はグリム兄弟の『名づけ親さん』というもので、幻想的で象徴的な物語です。物語の主人公である貧しい男は、たくさんの子供がいるため、名付け親を頼む相手がいなくなり、夢に導かれて門の外で最初に出会った人物に頼むことにします。
名付け親となった見知らぬ人は不思議な力を持ち、水によって病気を治す方法を男に教えます。ただし、死神の位置によって、その水が効力を発揮するかどうかが決まります。この設定は、生命と死の境界を表しており、結局のところ、男が成功して富を得ますが、最後には死神の力には逆らえないことを悟らされます。
やがて男は名付け親に感謝を伝えるために訪れますが、その家では不思議で不条理な出来事が次々と起こります。この場面は、名付け親の正体やその世界の異質性を示唆しており、現実とは異なる不思議な感覚を強調しています。名付け親が何者なのか、男が見た幻覚とその現実のズレは、物語のテーマである命と死、現実と幻想の境界をさらに深めています。
物語の結末で男が驚いて逃げ出す描写は、名付け親の正体やその存在の危うさを感じさせ、読者には解釈の幅を残しています。物語全体としては、現実とファンタジー、生命の儚さ、そして人間の運命というテーマが巧みに織り込まれています。
この物語「名づけ親さん」におけるさまざまな解釈は、寓話のように様々なメッセージや教訓を含んでいる可能性があります。
運命と死の無情さ: 主人公の男が「名づけ親」からもらった水を使って人々を治癒する力を手に入れるが、最終的には死神の存在によりすべての病気を治せるわけではないことが明らかになります。この要素は、死や運命に対する人間の無力さを示唆しているかもしれません。
知識と誤解: 男が名づけ親の家に行ったときに見た異常な現象についての彼の解釈は、しばしば誤解を含んでいます。これは、外見や表面的な印象に惑わされることなく、物事の本質を見極める必要性を伝えているかもしれません。
知恵と好奇心: 男は夢を信じて行動し、結果として名づけ親との出会いと特別な力を得ることができました。この点は、未知への探求心や挑戦が新たな可能性を開くことを示唆しているでしょう。
不思議な世界観: 名づけ親の家での奇妙な経験は、グリム童話特有の幻想的で不条理な世界観を強調しています。これにより、読者に現実とは異なる視点を提供し、物語を通じて多様な見方を学ぶ機会を与えています。
この物語は、読者にさまざまな解釈を促す要素が多く含まれており、教訓や想像力を働かせるための題材となっています。
この物語はグリム兄弟による童話「名づけ親さん」(Der Gevatter)を基にしています。この物語は、不思議な要素と道徳的な教訓を含む典型的なグリム童話です。
物語の中心には、資源の限られた状況で生きる貧しい男がいます。彼は子供たちの名付け親として誰に頼むべきか悩んでいましたが、夢に導かれた結果、最初に出会った見知らぬ人に頼むことにしました。この見知らぬ人は不思議な水を与え、特定の状況下で病人を治すことができると教えます。ただし、死神の立ち位置によって、治療が成功するかどうかが決まるという条件付きです。この設定は、生命と死の境界を探るテーマを示しています。
物語の後半では、男が名付け親を訪ねることになりますが、その家は奇妙で不気味な場面が続きます。ここでは、日常の物が生命を持ったかのように振る舞い、非現実的な光景が広がります。これらのシーンは、読者に幻想的な雰囲気と物事の表裏を考えさせるものとなっています。
この童話を通して伝えられるテーマには、生命、死、運命、そして未知への畏敬の念などが含まれています。また、見た目や表面的な事象に惑わされず、物事の本質を見極めることの重要性も暗示されていると言えるでしょう。このような寓話的なストーリーは、読者に深い思索を促し、単なる子供向けの物語を超えた意味を提供します。