子どもたちの読書の時間: 2 分
あるとき、狐が太ったガチョウの集団がいる草原にきました。狐はにんまりし、「ちょうどいいタイミングで来たよ、君たちはとても見事にそろっているもんだ。それでおれは次から次へと君たちを食べていけるよ。」と言いました。ガチョウたちは恐怖でクワックワッと鳴いて跳び上がり、嘆き悲しんで哀れっぽく命乞いをしました。しかし狐は何も耳を貸そうとしないで「情けは無い。お前たちは死ななければならないな。」と言いました。
とうとう1羽が気を取り直して、「もし私たちガチョウが、命を差し出さなければならないなら、一つだけ願いを聞いて、罪の中で死ななくてもよいようにお祈りさせてください。そうしたら一列に並んであなたが一番ふとっているのをいつも選べるようにします。」と言いました。
「いいだろ。筋が通った話だ。信心深い頼みだな。祈れ、終わるまで待ってやる。」と狐は言いました。
すると最初のガチョウが、たっぷり長い祈りを始め、いつまでもガッガッといっていました。そして終わりそうもないので、2番目のガチョウは自分の番が来るのを待たずに、ガッガッと始めました。3番目と4番目も続いて鳴き出し、まもなく全員が一緒にグワッグワッと鳴いていました。
ガチョウがお祈りを終わったらお話は続けられるんですが、今のところ、まだ止まずに祈り続けています。

背景情報
解釈
言語
このお話は、「狐とガチョウ」というグリム兄弟による童話の一部です。この物語では、狡猾な狐がガチョウたちを食べるために近寄ります。しかし、ガチョウたちは一計を案じ、一斉に長い祈りを始めることで時間を引き延ばします。結果として、狐は待ち続けるしかなくなり、ガチョウたちはその機に乗じて逃れようとするのです。
この話の教訓は、知恵や機転で絶望的な状況を打開できるということや、集団で力を合わせることで予想外の効果を発揮できるといったものです。グリム兄弟の童話は、多くの場合でこのような道徳的な教訓を含んでいます。
この物語は非常に興味深いですね。グリム兄弟の「狐とがちょう」は、動物たちのやり取りを通じて、知恵や策略、そしてコミュニケーションの力を描いています。ガチョウたちは命の危機に直面している中で、知恵を絞り、時間を稼ぐという戦略をとっています。
この物語からさまざまな解釈が考えられますが、いくつかのポイントとして以下のようなものが挙げられます。
策略と知恵: ガチョウたちは直接的な戦闘能力はないが、知恵を用いて狐を何とかしてやり過ごそうとしています。このように、弱者が知恵によって強者に対抗する姿は、しばしば物語における重要なテーマです。
共働の力: ガチョウたちは個別ではなく、集団として行動することで狐を食い止めています。協力の力や団結の大切さを教えてくれます。
信仰の力: 物語の中でガチョウたちは信仰を理由に時間を稼ごうとします。これは宗教的な信仰や儀式が持つ心理的な力を示すと共に、それをどのように利用するかという人間の知恵の描写と言えるかもしれません。
狐がどのようにこの状況を解決するか、またガチョウたちがこの策略で救われるのかは描かれていませんが、その曖昧さがこの物語の興味深さを増しているのかもしれません。読者に想像の余地を残すことで、より豊かな解釈を可能にしています。この物語の結末を考えることで、自分ならどうするだろうかと想像するのも楽しいですね。
この物語は「狐とガチョウ」というグリム兄弟の昔話で、巧妙さや機知をテーマにしています。この話では、ガチョウたちが狐に食べられるのを回避するために、機転を利かせて長々と祈り始め、その祈りが終わらないことで命をつなぎとめています。この物語は以下のような言語学的および文学的な要素を見ることができます。
機知に富むキャラクター: ガチョウたちは恐怖に直面していますが、ユーモラスな方法でそれを回避しようとします。このような機知は、他のグリム童話にも見られる共通のテーマです。
擬音語の使用: ガチョウたちが「ガッガッ」「グワッグワッ」と鳴く擬音は、物語のリズムを作り出して読者に生き生きとした映像を提供します。これにより緊張感とユーモアの両方が強調されます。
対話と口調: 狐とガチョウの対話には、口調の違いがはっきりと表れています。狐は冷酷で強気な口調を持ち、一方でガチョウたちは恐怖と機知を交えて会話します。
教訓的要素: この物語は、賢さや知恵が時に力や恐怖を凌駕するという教訓を伝えています。ガチョウたちは、自分たちの運命を嘆く代わりに知恵を絞って状況を乗り切ろうとします。
物語の特徴として、読者に対する驚きや期待、そして機知がどのように状況を変えることができるかを示しています。それは同時に、人間の本性に関する深い洞察を与えるものでもあります。