子どもたちの読書の時間: 5 分
口では大きいことを言うくせにやることはけちくさいある仕立て屋がいました。この仕立て屋がしばらくよそへ行って世間をみてみようと思い立ちました。できるだけ早く仕事を切り上げ仕事場をでて、山や谷を越え、あちこちさまよい歩いてどんどん進みました。あるとき、道中で、遠くの青い空の中に険しい山があり、その後ろに荒れた暗い森から高く上がり、雲に届いている塔が見えました。
「ぶったまげた!」と仕立て屋は叫びました。「ありゃ何だ?」仕立て屋はどうしても知りたくなったので、その塔をめざしてずんずん進んでいきました。しかし、その近くに来てみると、口あんぐりで目を丸くして驚きました。というのは塔には脚があって一っ跳びで険しい山を跳び越えたかと思うと、目の前になんともすごい大男が立っていたからです。「チビすけのハエの脚!ここに何の用だ? 」と大男は四方八方に雷がとどろくような声で叫びました。仕立て屋はしょぼしょぼと言いました。「この森でパンを少し稼げないかと..見て回っているんです」「そういうことなら」と大男は言いました。「おれのところに働き口があるぞ。」「それが本当なら、いいですとも。お給金はどれくらいで?」「給金がどれくらいか聞かせてやろう。毎年365日、うるう年ならおまけに一日多い。それでいいかね?」「結構です。」と仕立て屋は答え、心の中では(人は布に合わせて上着を作らなくてはならないからな。できるだけ早く逃げ出すとしよう)と考えていました。これを聞いて大男は、「ぼろチビ、行って水さしいっぱい水を汲んでこい」と言いました。
「一気に井戸と湧き水をもってきた方がよくない?」とほら吹きは尋ね、水さしを持って井戸にでかけました。「何だと?井戸と湧き水もだと?」と大男は呟き、ちょっと間抜けなところがあるので、恐くなり始めました。「あのチビは馬鹿じゃないんだ…体の中にマンドレイク(*注)があるんだ。気をつけろ、ハンス、こいつはお前が召使にする男なんかじゃないぞ。」仕立て屋が水を持ってくると、大男は森へ行ってたきぎを二、三本切ってもってこい、と言いつけました。「一打ちで一気に森全部ではいかが?森を全部、若木も老木も、あるもの全部、こぶがあるのも滑らかなのも」と仕立て屋は言って木を切りに行きました。「井戸と湧き水も、だよな…」とすぐ真に受ける大男は呟いて、さらにいっそうおびえました。
「あいつはりんごを焼くよりずっとたくさんのことができるんだ。それに体にはマンドレイクがあるし。きをつけろ。ハンス、こいつはお前が召使にする男なんかじゃないぞ。」仕立て屋がたきぎをもってくると、大男は夕食に2,3頭猪を撃ってこい、と命じました。「一発で1000頭しとめ、みんなここにもってくるのではいかが?」と生意気な仕立て屋は尋ねました。「何だって?」と臆病な大男はとても恐ろしくなって叫びました。「今夜はやめて、もう寝ろ。」
大男はあんまり怖いので、一晩中この忌々しい魔法使いの召使をどう厄介払いするかと考えて、目を閉じることができませんでした。時間をかければいい知恵も浮かぶものです。次の朝、大男と仕立て屋は沼地へ行きました。その周りにはたくさん柳の木がありました。すると大男は言いました。「いいか、仕立て屋、柳の枝に座ってみろ。お前が枝をたわませるほど重いか見てみたいんだ。」すぐに仕立て屋は枝に座り、息をつめて枝が曲がるように重くしました。ところが、どうしても息を吸わなくてはいけなくなったら、枝が仕立て屋をはねとばしました。というのは残念ながら、懐にアイロンを入れていなかったからです。とても空高く跳ねとばしたのでもう見えなくなってしまい、大男は大喜びしました。もし仕立て屋がまだ下に落ちていないなら、まだ空を漂っているにちがいありません。

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解釈
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このお話はグリム兄弟の「大男と仕立屋」という作品で、ある口先だけの仕立て屋が冒険に出かけ、巨大な大男に出会うというコミカルな物語です。話の中心となるのは、仕立て屋が大男を言葉巧みに混乱させ、巧妙にその場を切り抜けていく様子です。この物語は、知恵をうまく使ってトラブルを乗り越えるといったテーマを含んでおり、キャラクターの機知と大男の愚かさが際立っています。
物語の冒頭では、仕立屋が世間を見て回ろうと旅に出る決心をします。途中で、大男の住む塔を見つけ、興味をそそられて近づくと、そこで大男に出会います。大男が仕立て屋を召使にしようとする中、仕立て屋は巧妙に言葉で切り返し、大男を混乱させながら仕事をこなしていきます。
仕立て屋が意図的に大げさな発言をすることで、大男を恐れさせ、その隙に自分の身を守るための策を練る様子が描かれています。最終的に、仕立て屋が柳の枝の上に座るシーンで物語はクライマックスを迎えます。この仕立て屋の機知と抜け目のなさが、物語にユーモラスな彩りを添えています。
グリム兄弟の他の作品同様、「大男と仕立屋」は口承文学の影響を受けたものと思われ、同時に、時には力強さや威圧感に対しても言葉や知恵で対抗できることを示しています。この物語を通じて、聴衆や読者は機知と勇気の重要性を学ぶことができます。
このグリム兄弟の「大男と仕立屋」というお話は、滑稽で風刺的な要素を持つメルヘンです。この物語では、仕立て屋がその口先の巧みさと機転を使って大男を混乱させ、最終的には彼から逃れるという内容です。
物語の中心テーマのひとつは、「見かけや大きな話に惑わされず、自分の知恵と工夫を武器にすること」です。仕立て屋は見た目や身体的には小さく非力かもしれませんが、彼の機知や巧みな話術が彼を強く見せ、大男を欺くことができました。
また、物語は「大きさや力だけではなく、知性や賢さも重要である」というメッセージを持っています。大男のように力があっても、仕立て屋のような知恵がなければ、思い通りに物事を進めることができないことを示唆しています。
さらに、この話のユーモラスな側面として、しばしばグリム童話に見られる、誇張されたキャラクターや状況が挙げられます。仕立て屋が大げさに物事を語るたびに、大男がそれを真に受けて不安になる様子は、読者に笑いをもたらすと同時に、大きな力を持つ者が必ずしも賢明でないことを暗示しています。
結局、仕立て屋は機転を利かせ、大男の罠を抜け、彼をやり込めることができました。この物語は、知恵と工夫によって自身の道を切り開くことの重要性を教えてくれます。
「大男と仕立屋」というグリム兄弟の物語は、典型的なメルヘンの要素を含んでいます。このお話の語り口や登場人物の特徴を通じて、いくつかの言語学的および文化的側面を分析できます。
誇張表現の使用: 物語全体を通じて、誇張された表現が頻繁に用いられています。例えば、「一発で1000頭しとめ」という仕立て屋の発言や、「井戸と湧き水を一気に持ってくる」というほら話は、主人公の機知やずる賢さを表現するために使われます。これは、メルヘンにおける典型的な修辞技法であり、いたずらや知恵を象徴する主人公の特質を強調します。
対比と反転: 仕立て屋の小さく弱そうな外見と、実際の知恵や勇気という内面的な力との対比があります。これにより、物語は外見に惑わされないことの重要性を伝えています。小さくても知恵を持つ者が大きな力を持つ者を打ち負かすという反転は、多くの民話や伝説で見られるテーマです。
文化的モチーフ: 大男の「365日+うるう年」という給料の表現は、現代的な暦の概念を取り入れています。また、「マンドレイク」という言葉の使用は、ヨーロッパの伝説や伝統医学における魔法や神秘の象徴としての要素を示しています。これらの文化的モチーフは、読者に物語の時代背景や世界観を感じさせる要素として機能します。
コミカルな要素: 大男が仕立て屋のほら話にどんどんおびえていく様子や、仕立て屋が最後に空高く飛ばされる場面は、全体のトーンを軽くするコミカルな要素を提供しています。このようなユーモアは、不条理で愉快な状況を作り出し、読者を楽しませる役割を果たします。
「大男と仕立屋」は、知恵や創意工夫がどんな困難にも打ち勝つことを示す、典型的な教訓的メルヘンです。その中で使われる言語やスタイルは、子供から大人まで幅広い読者に親しまれる要因となっています。