子どもたちの読書の時間: 11 分
三人の息子がいる男がいました。末っ子はアホッコと呼ばれて、事あるごとにさげすまれ、からかわれ、あざ笑われました。
さて、一番上の息子が森へ木を切りにいこうとして、出かける前におなかがすいたり喉がかわいたりしないようにと母親がきれいな甘いケーキと葡萄酒をひと瓶持たせました。
森へ入ると、白髪の年とった小人に会いました。小人は「こんにちは、ポケットからケーキをひとつくれませんか?それから葡萄酒を一口飲ませてください。私はとてもおなかがすいて喉が渇いているのです。」と言いました。しかし、賢い息子は「もしお前にケーキと葡萄酒をあげたら、私のがなくなるじゃないか、あっちへ行けよ」と答えて、小人を残して、行ってしまいました。
しかし、木を切り倒し始めるとまもなく手元が狂って、腕が斧で切れ、家へ帰って包帯をしなければいけなくなりました。これは白髪の小人がやったことでした。
このあと、二番目の息子が森へ入りました。そして、母親は一番上の息子と同じように、ケーキと葡萄酒をあげました。白髪の小人が同じように息子に会い、ケーキを一切れと葡萄酒を一口頼みました。しかし二番目の息子も十分賢く、「お前にあげたら自分のがなくなるよ。あっちへ行け。」と言って、小人をおいて行ってしまいました。ところが罰が遅れないでくだって、木を2,3回打つと、斧は脚にあたり、家に連れ帰ってもらわなければなりませんでした。
それでアホッコは、「お父さん、木を切りに僕を行かせて。」と言いました。父親は「お前の兄たちはそれで怪我をしたんだぞ。お前は手をだすな。お前は木こりのことを何も知らないんだよ。」と答えました。しかし、アホッコがいつまでも頼むので、とうとう「じゃあ行きな。怪我をしたらもう少し賢くなるだろうよ。」と父親は言いました。母親は水で作り灰で焼いたケーキと、酸っぱいビールをひと瓶もたせました。
森へ着くと、白髪の年とった小人が同じように会って、挨拶すると、「ケーキを一切れと瓶から一口ください。私はとてもおなかがすいて喉が渇いているのです。」と言いました。
アホッコは、「灰のケーキと酸っぱいビールしかないが、それでよかったら、一緒に座って食べましょう。」と答えました。それで二人は座り、アホッコが灰のケーキを引っ張りだすとそれは素敵な甘いケーキになり、酸っぱいビールは上等の葡萄酒になっていました。それで二人は飲んで食べました。そのあと、小人は、「お前はやさしい心をもっていて、持っているものを喜んで分けるから、幸運をあげよう。あそこに古い木があるが、それを切ってごらん。そうすれば根のところに何か見つかるよ。」と言いました。それから小人は別れていきました。
アホッコは、行ってその木を切りました。そして木が倒れると、純金の羽をしたがちょうが根の中に座っていました。アホッコは、がちょうを持ち上げ、一緒に持って行き、その晩泊ろうと思った宿屋に行きました。さて、宿の主人には三人の娘がいましたが、そのがちょうを見てそんな素晴らしい鳥は何だろうと知りたく、また金の羽根の一枚を欲しいと思いました。

一番上の娘は「すぐ羽根を一枚引き抜く機会が見つかるわ」と思い、アホッコが外出するとすぐがちょうの翼を掴みました。しかし、指と手ががちょうにぴったりくっついたままになりました。
二番目の娘がすぐ後で来て、どのようにして自分の羽根を手に入れるかばかり考えていましたが、姉に触れた途端、ぴったりくっついてしまいました。
とうとう三番目の娘も同じ目的でやってくると、他の二人が「離れていて、お願いだから、離れて!」と叫びましたが、なぜ離れていなければいけないのかわかりませんでした。
「他の二人がそこにいるんだから、私もいた方がいいわ。」と考え、二人に駆け寄りました。しかし姉にふれるとすぐ、しっかりくっついたままになりました。それで、三人はがちょうと一緒に夜を過ごさなければなりませんでした。
次の朝、アホッコはがちょうを脇の下に抱え、がちょうにぶら下がっている三人の娘のことは気にしないで、出発しました。それで、娘たちは、アホッコの脚が向くまま、はい左、はい右、とずっとアホッコを追いかけるしかありませんでした。
野原の真ん中で牧師と会いました。牧師はこの行列を見ると、「恥知らずな、このろくでなし娘たちめ、どうしてお前たちはこの若い男を追いかけて野原を走り回っているんだ?礼儀にかなったことか?」と言い、同時に引き離すために手で一番下の娘を掴みました。しかし、牧師は娘に触れるとすぐ、これもまたぴったりくっついてしまい、自分も後ろから走るしかありませんでした。
まもなく寺男が通りがかり、主人の牧師が三人の娘のあとを走っているのを見ました。これを見て驚いて、「ねえ、牧師さん、そんなに急いでどこへ行くんですか―?今日は洗礼があるのを忘れないでくださいよ。」と叫びました。そしてあとを追いかけて、牧師の袖をとりましたが、寺男もまたしっかりくっついてしまいました。

五人がこんなふうに次々とつながってとことこ走っている間に、二人の農夫がくわをもって畑からきました。牧師は農夫に叫んで、自分と寺男を離してくれと頼みました。しかし、農夫たちが寺男に触れた途端、ぴったりくっつき、今度はアホッコとがちょうのうしろを走るのが七人になりました。
その後まもなく、アホッコはある町にやってきました。そこでは、あまりにきまじめで誰も笑わせることができない娘がいる王様が治めていました。それで王様は娘を笑わせることができた者は娘と結婚してよいというおふれを出していました。アホッコがこれを聞いて、がちょうとがちょうにつながった行列と一緒に王様の娘の前に行きました。王女さまは、七人が次々とつながってどんどん走っているのを見ると、すっかり大きな声で笑い始め、笑い止まないのではないかと思うくらい笑い続けました。
それでアホッコは娘を妻に欲しいと申し出ましたが、王様はこの婿が気にいらず、さまざまな言い訳をして、「お前はまず地下貯蔵庫いっぱいの葡萄酒を飲める男を出してこなければならない。」と言いました。
アホッコは、きっと自分を助けることができる白髪の小人のことを思い、森へ入って行きました。すると自分が木を切り倒した同じ場所に、一人の男が座っているのが見えましたが、とても悲しい顔をしていました。アホッコが「何をそんなにひどく考えているんだい?」と尋ねると、男は「とても喉が渇いてたまらないんだ。

冷たい水は我慢できないし、一樽の葡萄酒はいま飲んでしまったばかりで、それも私には焼け石に水でしかないよ。」と答えました。
「それそれ!手伝えるよ。僕と一緒にきてくれ、そうしたら満足するよ。」とアホッコは言いました。アホッコが男を王様の地下貯蔵庫に連れていくと、男はとても大きな樽の上にかがみ、わき腹が痛くなるほど飲みに飲んで、その日が終わらないうちに樽全部をカラにしてしまいました。それで、アホッコはもう一度花嫁を欲しいと求めましたが、王様は、みんながアホッコと呼ぶこんなみっともないやつが、娘をさらっていくとは悔しくて、新しい条件を出しました。つまり、パンをひと山まるまる食べることのできる男を見つけなければいけない、というのでした。アホッコは長く考えていないで、まっすぐ森へ入って行きました。森の同じ場所に、体を革紐で縛り上げて、すさまじい顔をしている男がいて、「ひと釜分まるまるロールパンを食べたんだが、おれみたいに腹が減っていてはそれが何の役に立つんだ。腹はからっぽのままだ。それで飢え死にしたくないなら自分を縛りあげなくてはならん。」と言いました。
これを聞いてアホッコは喜び、「立って一緒に来てくれ。腹いっぱい食わしてやるよ。」と言いました。アホッコは男を王様の宮殿に連れていくと、王国中の小麦粉がみんな集められ、大きなパンの山が焼かれました。森から来た男はその前に立ち、食べ始め、一日の終わりまでには山がまるまる消えてしまいました。それでアホッコは花嫁が欲しいと3回目求めました。しかし王様はまた逃げ道を探し、陸の上と水の上を航海できる船を注文しました。そして「その船でもどってきたらすぐ、娘を妻にあげよう。」と言いました。
アホッコはまっすぐ森へ入って行くと、前にケーキをあげた白髪の小人が座っていました。アホッコの欲しいものを聞くと、小人は「お前が食べ物と飲み物をくれたから、その船をやろう。こうするのはおまえがかつて私に親切だったからだよ。」と言いました。それから小人は陸と水を航海できる船をくれました。王様はそれを見たとき、もう娘をやらないわけにはいきませんでした。結婚式が行われ、王様が死んだあと、アホッコは王国を受け継いで長い間妻と一緒に幸せに暮らしました。

背景情報
解釈
言語
この物語はグリム兄弟の「黄金のがちょう」という童話で、善良さや親切心が報われるというテーマがあります。
話の主人公は「アホッコ」と呼ばれる末っ子の息子です。彼の兄たちは利己的で、小人に対して助けを拒んだために不運に見舞われます。しかし、末っ子のアホッコは控えめな食事にも関わらず、小人にそれを分け与える親切心を示します。この善行により、小人はアホッコに幸運を授け、結果的に彼は金の羽を持つがちょうを手に入れ、それが一連の面白い出来事を引き起こすきっかけとなります。
宿屋の娘たちや牧師、寺男、農夫たちががちょうにくっついていくというユーモラスな展開は、物語における笑いの要素です。その後、王女を笑わせたことでアホッコは王女との結婚を許されますが、王様はさらなる試練を与えようとします。
物語の結末では、アホッコは再び小人の助けを得て、王様が課した難題をすべて克服します。最終的に、彼は王女と結婚し、幸せに暮らします。
この物語は、善意や優しさ、そして他者への思いやりが運をもたらす可能性があることを教えてくれます。また、外見や世間の評価にとらわれず、自分の信念を持ち続けることの重要性も伝えています。
「黄金のがちょう」はグリム兄弟による昔話で、善良さと親切心がいかに幸運をもたらすかというテーマを描いています。この物語にはいくつかの解釈が考えられます。
善行の報酬: 末っ子のアホッコは純粋で親切な心を持っており、困っている小人に対して分け与える姿勢を見せます。この無償の善行が彼に幸運をもたらし、最終的には成功と幸福を手に入れます。
他者への思いやり: 小人を助けることで、アホッコは自分自身も助けられるという教訓が込められています。他者への思いやりを大切にすることで、思わぬ形で自身の利益につながる可能性があることを示しています。
家族や社会の期待を超えて: アホッコは「アホ」と呼ばれ、家族や周囲から軽んじられていますが、彼の行動は逆に周囲の期待を超えていきます。このことは、他人のステレオタイプや偏見に囚われず、自分自身の道を切り開く重要性を示唆します。
笑いとユーモアの力: 物語の中で、七人がくっついて歩くコミカルな状況が王女を笑わせる場面があります。ユーモアや笑いが持つ癒しの力や、人々を幸せにする力を象徴しています。
この物語の中心には、自己の利得や社会的評価を超えたところにある、心の純粋さや優しさの価値があります。物語を通じて私たちに示されるのは、表面的な判断にとらわれず、真摯な心を持ち続けることの大切さです。
「黄金のがちょう」はグリム兄弟によるメルヘンの一つで、この物語は典型的な教訓を含んでいます。それは、寛容さと思いやりの重要性、そして見かけに囚われずに内面を見ることの大切さを伝えています。ここでは、物語のいくつかの言語学的およびテーマ的な側面を分析します。
言語的分析
対比と繰り返しによる構造: 物語は三人の兄弟がそれぞれ同じ試練に直面するという形で進行します。対比と繰り返しの構造は物語のリズムを形成し、末っ子の特異性を際立たせます。
名前と呼称の使用: 末っ子は「アホッコ」と呼ばれ、他の兄たちと比較して劣っていると見なされています。しかし、彼が最終的には成功を収めることで、名前の持つ偏見を逆転させ、読者に対して先入観を持たないことの重要性を示します。
対話のシンプルさ: 登場人物たちの言葉遣いはシンプルであり、特に小人との対話は語りのテンポを維持しつつ、物語の進行を助けます。このシンプルさは、メルヘンの口承文学としての特性を反映しています。
テーマ的分析
寛容さと思いやりの報酬: アホッコは兄たちと異なり、小人に対して親切に接し、その見返りとして幸運を受け取ります。このテーマは、「善行は報われる」という教訓的なメッセージを伝えています。
見かけに惑わされないこと: 物語では、アホッコの行動とそれに対する周囲の評価が逆転します。外見や地位にとらわれないで相手を見ることの重要性を伝えています。
ユーモアと社会的風刺: 物語は行列がくっつくシーン、特に村人たちが次々とくっついていくところでユーモアを提供しますが、同時に人間の欲望や貪欲さを風刺しています。
結論
「黄金のがちょう」はシンプルでありながら深い教訓を持つ物語です。単純なストーリーとキャラクターは子供たちにも理解しやすく、また大人にも豊かで普遍的なメッセージを伝えます。キャラクターの行動やその結果を通じて、寛容さと思いやり、そして内面的価値の重要性を教えてくれます。このようなメルヘンは、文化や時代を超えて語り継がれ、学ばれる価値があります。